生成系ツールの普及以降、
情報発信の量が急増している様子が観測されます。
個人が記事を書く、
動画を作る、
要約や解説を添える。
そうした行為が、
日常的に行われるようになっています。
発言の中では、
「発信する側」「届ける側」という表現が
以前より多く使われています。
行動の配置を見ていくと、
同じ情報を扱っていても、
立ち位置が分かれている状態が見られます。
・生成する
・選ぶ
・並べる
・切り取る
内容そのものより、
どの位置から扱っているかが
区別として機能しています。
ここに、繰り返し見られる構造があります。
情報が大量に生成されるほど、
情報そのものの希少性は下がります。
一方で、
どこから見ているか、
どの順で配置しているか、
という位置関係は残ります。
生成は広がり、
配置が役割になります。
見落とされやすい点として、
発信の増加が
表現欲や自己主張の増大として
理解されやすいことが挙げられます。
しかし観測されるのは、
表現の量ではなく、
立ち位置の分化です。
同じ素材を扱いながら、
異なる側に立つ動きが
重なっています。
この構造の中では、
情報は流動的になり、
立場は固定されにくくなります。
誰が作ったかより、
どの位置で扱われたかが
認識の手がかりになります。
その結果、
「メディア側」と呼ばれる位置が、
特定の組織ではなく、
分散した形で増えていく状態が
自然に生じています

