こんにちは、みいたくです。
ビットコインについて語られる場面では、
「自己責任の資産」という表現が使われることがあります。
この言葉は、注意喚起や警告の意味合いで使われることもありますが、
ここでは価値判断として扱いません。
なぜビットコインは、そのように呼ばれるようになったのか。
個人の姿勢や判断ではなく、構造としてどのように見えているのかを整理します。
個人に管理が集まっているという現象
現在、ビットコインは株式や預金と同じように
「資産」という言葉で語られています。
一方で、管理や結果については、個人に委ねられている側面が強く残っています。
具体的には、
・秘密鍵を失うと復元できない
・第三者による補償が原則として存在しない
・取引の取り消しができない
・管理方法によって結果が大きく変わる
といった特徴が確認されています。
こうした状態が重なり、ビットコインは「自己責任の資産」と表現されることが
一般的になってきました。
設計段階で共有されていた前提
ビットコインの設計には、特定の管理主体を置かないという前提があります。
・中央管理者が存在しない
・取引の承認はネットワーク全体で行われる
・個人が直接資産を管理できる
これらは、
後から付け加えられた条件ではなく、
初期から意図されていた構造です。
この前提では、資産の保管や移動に関する判断は、
制度や組織ではなく、利用者本人の位置に置かれます。
管理の自由度と同時に、管理の結果も個人に返ってくる構造が
成立していました。
資産として語られるようになって生じたズレ
時間の経過とともに、ビットコインは価格の上昇や市場の拡大を経て、
「投資対象」や「資産」として広く語られるようになりました。
一方で、管理の構造そのものは、大きく変わっていません。
その結果、
・資産としての期待
・管理の負担
・損失時の回復不能性
が同時に存在する状態が生まれています。
資産という側面だけが強調されるほど、管理の結果が個人に直接返ってくる構造が、
「自己責任」という言葉でまとめられやすくなっているように見えます。
評価を離れて構造として整理する
ここで整理できるのは、ビットコインが特別に厳しい資産である、
という話ではありません。
・管理主体を置かない構造
・回復を前提としない設計
・個人が直接扱える仕組み
これらが重なった結果として、「自己責任の資産」と
呼ばれるようになっていると捉えられます。
この呼び方は、個人の判断や行動を評価するものではなく、
責任の所在がどこに置かれているかを示す構造的な表現とも言えます。
ビットコインは、責任を押し付ける仕組みではなく、
責任の集約先を最初から設定していない構造を持っている。

