発信や報道に触れる場面で、
「メディア側の人間」という言葉が使われることがあります。
誰が語っているのか、
どの立場から語られているのか、
という区別として、この表現はしばしば現れます。
一方で、
具体的に誰を指しているのかが
明確に示される場面は多くありません。
観測できる範囲では、
発信している個人の多くは、
・個人名義で活動している
・複数の媒体を横断している
・所属や肩書きが固定されていない
といった状態にあります。
発信内容も、
報道、意見、引用、再構成などが混在しており、
単一の役割に整理されている様子は
あまり見られません。
ここに、繰り返し見られる構造があります。
発信の内容が
「個人の発言」として扱われる一方で、
受け取られる際には
「メディア的なもの」として認識される。
立場は個人にあり、
役割はメディア側にある、
というズレが生じています。
見落とされやすい点として、
メディア側という位置が、
実体として存在しているのか、
それとも便宜的に置かれた概念なのか、
整理されないまま使われていることが挙げられます。
組織としてのメディア、
個人としての発信者、
その中間にある立場。
それらが区別されないまま、
同じ言葉で語られる場面が続いています。
この構造の中では、
発信者は固定された立場を持たず、
受け手は固定された役割を想定します。
その結果、
「誰がメディア側なのか」という問いは、
具体的な対象を持たないまま、
言葉として流通します。
役割が先に置かれ、
実在が後から想定される状態が、
自然に生じています。

