こんにちは、みいたくです。
2025年12月、僕は初めてmeiha seedを受けました。
その頃の僕は、何かを選ぶたびに「するべき」「すべきじゃない」が先に立っていて、
自分が何をしたいのか、何が向いているのか、どこが強みなのかが分からなくなっていました。
淡々と1日をこなすうちに、嬉しいとか、楽しいとか、希望とか、そういう感覚にふたをして生きることが当たり前になっていました。
周囲からは「それじゃダメだ」と、善意で別の形を提案されることも多く、僕も「そうあるべきなんだ」と従い、無理矢理にでも自分を振る舞っていた気がします。
ここから先は、meiha seedを「説明」するというより、僕の中に残った感覚を、そのまま言葉にしました。
受ける前の違和感
僕が日々の生活で最も辛かったのは、行動が止まっていたことよりも、判断の基準が全部「外側」に寄っていたことでした。
正しいか、怒られないか、失敗しないか。
そういう物差しだけが増えていって、肝心の「僕はどう感じているのか」が置き去りになっている感覚に陥り続けていました。
「まずは頑張れば変わる」と言われても、”まず”がずっと終わりが見えない。
だから、正解っぽい方向へ進もうとして、さらに分からなくなる。
そんなこと終始考えながら生活をしていました。
受けたときの印象
meiha seedを受けたとき、派手な衝撃があったわけではありません。
むしろ、静かな納得感を先に感じました。
「なるほどね。僕はこういう構造で判断していたのね。」
性格がどうとか、向いている仕事が何か、という話を聞いたというより、
僕の判断が生まれる位置というものが言葉になって置かれたイメージでした。
自分はどんな前提に立ちやすいのか。
どこから世界を見て、どこで無理をしやすいのか。
その型が見えるだけで、急に答えを出さなくていいと思える気がしました。
宗教や神を意識したわけではありません。
僕の中では「構造」として受け取れたから、変に構えずに入ってきたのだと思います。
受けたあとに残った感覚
受けたあと、僕の中でははっきり変化がありました。
大げさなことをしたわけではないのに、僕にとっては劇的に変わりました。
それが一番出たのは、翌日からでした。
日々の中で楽しみを見つけるのが、前より自然になった感じがあって、そこから趣味や収入の実感にまでつながっていきました。
何かを無理やり始めたというより、止まっていた感覚が少し動き出したような感じです。
ただ、外側の生活がいきなり別人になったわけではありません。
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大きく何かを変えたわけでもない
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大きなお金を注ぎ込んだわけでもない
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目立つ挑戦をしたわけでもない
それでも、僕の中に「相棒」みたいな視点が増えました。
自分の人生を少し俯瞰して見られるようになって、「今の自分は、どの位置から判断している?」と立ち止まれる。
その結果として、
自分を受け入れやすくなり、孤独を感じる時間が減っていきました。
何かを手に入れたというより、戻れる場所を持てたことが安心材料になったんだと思います。
今振り返って分かること
今振り返ると、meiha seedが僕にくれたのは正解ではありませんでした。
「これをやれ」と言われた感覚もありません。
ただ、判断の出発点を確認できた。
それだけなのに、その後の選択が少し楽になりました。
未来が見えないときほど、前に進むための正解よりも、
「ズレても戻れる場所」が先に必要だったんだと思います。
僕はそういう意味で、人生が人間としてアップグレードされた感覚が残っています。
頑張り方の話ではなく、立ち位置が分かったことによる変化でした。
未来に対して、不安がある。
自分の構造と立ち位置を一度だけ確認する、
という選択肢もあります。

